12/02/2016

大川義行氏の想い出(12)

「ムービーキッズ」の次のシーズン、2007年から2008年にかけての時期は、相当に忙しかった印象があります。別な言い方をすれば実りの多いシーズンだったという事にもなります。この時は、「じゃじゃ馬馴らし」と「南総里見八犬伝の謎」という2本のミュージカルが生まれました。「じゃじゃ馬馴らし」は劇団サンブキッズの演目、「南総里見八犬伝の謎」の方は千葉県民参加ミュージカルと称して出演希望者を一般公募した形の単発の公演です。この2本は、大川さんにとっても私にとっても書き下ろしの新作になります。大川さんは、劇団ルネッサンスの公演も抱えたいたはずですが、新作2本に挑むという事は、それだけ気力体力共に充実していた時期だったという事でしょう。この2本は大川さんと私のコラボ作品の中では間違いなく最高作の候補です。さらに、大川さんにとっては私以外の作曲家との作品まで含めてもかなりの位置に来るのではないかと思います。実際、後々大川さんが「あれは良かった」という言い方で一番話題にした作品は「南総里見八犬伝の謎」だった印象があります。

実は2本のミュージカルはほぼ平行作業で作られました。最初に話を聞いた時の記憶が無いので困りますが、「次回は2作」と最初から話があった可能性もあります。私としてはっきり記憶しているもしくは記録があるのは、「南総里見八犬伝の謎」の出演者応募締切が8月末でしたので、それまでに「じゃじゃ馬馴らし」を出来るだけ進めてしまおうという事で、夏の間に台本が少しずつファックスで届き、断続的に歌の曲の作曲をしていた事です。そのかいがあって、10月頃には「じゃじゃ馬馴らし」の歌の曲11曲とオープニングテーマの作曲は一通り済み、楽譜の作成までは完成いたしました。音の録音は後回しになっていましたが、本番が翌年の5月の予定でしたので、かなり時間的余裕があった事になります。一方「南総里見八犬伝の謎」の方はなかなか台本等が届かず、11月くらいまで待たされて「大丈夫か?」と心配になりました。こちらの本番は3月の予定でした。

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11/26/2016

大川義行氏の想い出(11)

さて、「ムービーキッズ」の挿入歌は8曲あり、登場順に「かえれかえれ昔に」「ならずもの」「そこにあるものは」「アルバイトなんて」「秘密の稽古場」「ひとりきり」「ショック」「かすかな希望」となっています。他にフィナーレの部分に歌とダンスがありますがこれは「かえれかえれ昔に」と「アルバイトなんて」が再登場する形です。

この8曲のうち「ならずもの」と「ショック」の2曲は私が新たに書き下ろしたものです。この2曲の挿入は、もちろん大川さんのひらめきから出たものです。渡されたカセットテープには、「アルバイト」がM2と書かれていますので、リメーク前の最初のバージョンでは「アルバイト」が2曲目だったのだと判断出来ます。このミュージカルでは、2曲目で登場人物が自分たちの事を歌う、つまり一種の自己紹介をする形になっていますので、アルバイターよりもならずものの方がより相応しいだろう、という判断だったことになります。「ショック」は、物語のクライマックスシーンで、大どんでん返しがありショック!となる部分ですが、歌と踊りでビシッと決めたいと思ったのでしょう。以前のバージョンではセリフだけで構成されていたシーンだったのだと思います。私は「ならずもの」はロカビリー調、「ショック」はバラード調から始まりハードロック調へ移行する形で決めてみました。大川さんはちょっと面食らったのではないかと思っていますが、この2曲は劇団員のメンバーには大好評でした。平成生まれの子どもたちにとってはすこぶる新鮮な音楽に感じたのだと思います。

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11/25/2016

大川義行氏の想い出(10)

前のエントリーでミュージカル「キッズバンク」についていろいろ書きました。・・・が、その後調べてみたところ、かなり思い違いがある事が判りました。何を調べたかといいますと(CD-Rがあるのはある意味当然で、前回の記事も聞きながら書いていました)、CD-Rの他に、当時使っていた台本、楽譜、下書きのノート、大川さんから渡されたテープも残っています。それ等をいろいろ確認したところ、当時の状況がいくつか判明したという事です。

このミュージカル「キッズバンク」については、実は頼まれた時の記憶がありません。前回の記事では、本番が2006年5月でしたので、前の年2005年の夏ごろだったはずだ、と想像で書いてしまいました。もう一つ、以前の曲はアレンジは変えずに再録音したような書き方をしました。ところが、引っ張り出してきたカセットテープの中に、大川さんの手書きの文字で「曲を作り変えて下さい」と書いたものが出て来ました。つまりアレンジを変えていなかった、という点だけでも思い違いがある事になります。で、もう一度記憶を掘り起こしてみようとしたところ、どうも私が依頼された時は台本もほとんど出来ていて、劇団員も歌の練習に入っていたというタイミングだったように思えて来ました。そう思った唯一の根拠は、この作品については、台本が少しずつ送られて来たような記憶が無いのに気が付いた事です。つまり、大川さんが、台本もだいたい出来ていて、練習に入ってから、何らかの理由で曲の方を変える必要があると思った可能性が考えられます。理由として考えられるのは、演出上の都合がありそうですが、歌いにくいなんて事も考えられます。そう考え合わせてみますと、私に話が来た時期は前年の夏ではなく、12月前後だったのではなかったかという事になるでしょう。

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11/22/2016

大川義行氏の想い出(9)

ミュージカル"Kenji"から数年経って、大川さんから連絡があり、次のミュージカル公演の音楽を頼みたいという話がありました。次と言いましても、劇団ルネッサンスではなく、劇団サンブキッズというチームの公演です。2006年の公演の話でしたので、前年2005年の夏から秋にかけての時期だったはずです。劇団サンブキッズにつきましては、私自身はあまり良くわかっているとは言えません。大川さんがあまり詳しく教えてくれなかったからです。劇団の関係者で連絡が付く人が何人かいますので、聞いてみるのが一番かも知れませんが、むしろ、私がどういう理解をしているかを、勘違いがあったとしてもそのまま書いてみた方が良いように思いました。もし、訂正が必要な個所がありましたら、コメント形式で書き足しましょう。事情がおわかりの方がいらっしゃいましたら、コメントの投稿をしていただけますと嬉しいです。

サンブキッズのサンブとは山武郡という地名、いや地域名から来ています。今は合併統合で山武市(さんむし)となっています。微妙に読み方が変わっていますが、どういう経緯でそうなったのかは、私は住民ではありませんので良くわかりません。劇団の拠点は東金市ですが、ここも山武郡東金町から市へ昇格した所ですので、広い意味では山武郡の中という事です。キッズの名前からわかるように団員は基本高校生以下のこどもたちです。

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11/20/2016

大川義行氏の想い出(8)

ミュージカル"Kinji"の次は・・・と書こうと思いましたが、実は1つ書くべき事を忘れていました。その時よりだいぶ以前に、1度だけですが、大川さんの書いたミュージカルの音楽の録音を担当した事がありました。これは録音ですので、作曲にはほとんど関与していません。何故「全然」ではなくて「ほとんど」なのかと言いますと、この時録音だけでなく、同時にピアノの演奏を頼まれまして、録音の現場で調整しなければならない場合、つまり音楽の時間が予想より短くてどうしようかなんて時に、多少はアレンジに口を出したからです。

この演目が「中年物語」というタイトルだったのは記憶にあります・・・いや、正確には思いだしました、ですね。音楽は猪俣先生だったはずです。この時の主演が猪俣先生本人だったのは間違いないはずで、はっきり聞いた訳ではないのですが、猪俣先生がブロードウェイの勉強してきた成果を、劇団ルネッサンスで発表するという性格のものだったと認識しています。これは録音の時の大川さんとその他のスタッフの会話から類推した上での認識で、はっきり聞いた訳ではないというのは、こういう意味です。当然、作曲も猪俣先生であると考えるのが、最も状況と整合しています。

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11/19/2016

大川義行氏の想い出(7)

さて、「ちばの川ものがたり」の翌年、2002年に大川さんから次作の打診がありました。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をミュージカル化するという構想です。正式に依頼があったのが6月頃ではなかったかと思います。ただ、「川ものがたり」の頃から、「銀河鉄道の夜」をそのうちやってみたいんだよね、なんて話がちらちらあった記憶があります。今回の本番は12月で、前年のようなバタバタにはならないタイミングでした。しかしながら、台本が届き始めるまで暫くタイムラグがあり、作曲に取りかかったのは8月くらいだったかと思います。

今回は劇団ルネッサンス・ドラマメイトの公演です。劇団については説明不要とも思ったのですが、良く知らない人がこの記事を見る可能性もありますので、軽く触れておきます。劇団ルネッサンスは大川さんが主宰する劇団で、ドラマメイト、シアターメイト、ミュージカルメイトの3つの部門と、ライズというダンス専門のチームがあります。ドラマメイトは原則高校生以下の子供たちによるチームで、劇団ルネッサンスの根幹をなす部分です。元々は子供たちのための劇団として誕生した劇団ルネッサンスですが、大人になっても続けたい人たちのための受け皿としてシアターメイトとミュージカルメイト、ライズが誕生したという流れがあります。この3チームは、どちらかと言うとプロの養成所とマネージメント事務所を兼ねた形に近い存在と思います。

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11/14/2016

大川義行氏の想い出(6)

出演者のレッスンを付けている時、大川さんが突然「面白い子が1人いる」と言い始めました。トモちゃんという小学生で、トボけた味を持った3枚目キャラなのに利発で感が良いという、この時の公演にはまさにうってつけの人材でした。この時の大川さんの嬉しそうな様子は、鮮明に記憶に残っています。察するに「駒が揃った!」という事に間違いないでしょう。この時点で大川さんの頭には全体の構造が見えていたように思います。

別の人が書いた最初の台本について「わからないわからない」と繰り返し書きましたが、当時の私には理解できなかったという意味で、今は多少わかった部分はあります。要するに千葉市を流れる川を取り上げ、それぞれの川に纏わる歴史的なエピソードをオムニバス形式で綴ろうとしたものです。例えば、更級日記に出てくる河岸での別れのシーン、源頼朝が一時敗北し、千葉で再起を図るべく千葉常胤と面会するシーン、などです。その最初の台本の最大の問題点は観客にわかるような説明がほとんどない事です。源頼朝は説明がなくても「頼朝公」の一言で何となく状況がわかりますが、相手の千葉常胤がいきなり出てきても誰だかすぐにはわからないでしょう。セリフで「常胤様!」と言っても、わかる人はほとんどいないと思います。

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11/12/2016

大川義行氏の想い出(5)

さて、前の記事では私のところに話が来る以前の経緯については、憶測が入るからという理由で詳しく書く事を避けましたが、今回はまず憶測満載で、おそらくこうだったのだろうと思う事を書いてみましょう。

「ちばの川ものがたり」の話題が最初に出たのは、花見の宴会の雑談からだったという話は伝わっています。私が知っているのは「恒例の猪鼻山での花見」の席でという事で、どういう人が集まる花見なのかはわかりませんが、大川さんも出席していたようです。ただ、大川さんはその時は自分が関わろうとは思っていなかったようです。最初に台本を書いた人が非常に乗り気で「是非やりましょう」となったらしいです。この時の花見がその年(2001年)の事なのか、前年の事なのか不明です。常識的に考えるならば、3月頃の単なる思い付きを、その年の11月の公演に持ち込むとは思えないのですが、その人が準備委員会を組織し、千葉市に売り込んでみたら今年が千葉市の80周年だからその記念公演として是非!という話になり、「それ急げ!」となったとするならば、その年の3月というセンも十分可能性があります。

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11/10/2016

大川義行氏の想い出(4)

前回詳しく書きました「第2回平和を願うコンサート」は1986年に開催されたものですが、80年代90年代はだいたいこんな感じで経過いたしました。この間に何回くらいのコンサートで大川さんとご一緒したのかははっきりとしませんが、10回あったかどうかくらいの数かなと思います。一番多かったのが合唱や独唱などの歌のコンサートで、私が編曲かピアニストとして参加し、大川さんが演出を担当するという形でした。変わったところでは、バイオリンのリサイタルで、1ステージ分の歌謡曲の編曲を頼まれ、ピアニストとして参加したところ、大川さんがナレーターとして顔を出した事がありました。

そのパターンが大きく変わったのは、2001年の市民参加形の音楽劇「ちばの川ものがたり」の時でした。この時は、いきなり大川さんから、至急会いたいとの電話があり、会った途端の開口一番「助けてもらいたいのだけど」という話でした。これだけでもただ事ではありませんね。

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11/09/2016

大川義行氏の想い出(3)

前の記事で、「第2回平和を願うコンサート=原民喜への思いをこめて」について詳しく説明するように書きましたが、少し時間を置いて考えてみますと、ちょっと言い訳がましいかなあ、と思うようになりました。特に、このコンサートには大川さんは主体的には関わっていなかったように思いますので、少なくとも大川さんにとってはそれほど重要なものでは無かった可能性があります。

しかし、一通りの事は書いておきましょう。この「平和を願うコンサート」のシリーズは、前年に誕生しました「平和を願う音楽家の会」の主催によるコンサートです。「平和を願う・・」と書いてしまうと、ある種の政治的な活動のように思われるのではないかという気がしまして、必要以上に気にしてしまうというのは、私の性癖のようなものです。私自身、当初から政治団体なのではないかと危惧しながら接していた、という事は否定いたしません。まあ、その当時、会の代表を務めていた人が「私は政治は大嫌いです」と豪語(?)していましたので、それを信じて関わっていたというのが実情です。よくよく考えてみますと、「大嫌い」などと言っているとある種の左翼思想とそれほど変わらない紙一重のようにも見えてしまいますし、どうも政治的な意図を持っているのではないかと疑われる人がメンバーとして紛れ込んでいたような気もいたしますし、この点については、あまり突っ込んで書かない方が無難でしょう。

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11/06/2016

大川義行氏の想い出(2)

私が大川さんと初めて会ったのは・・・・と、書き始めたいのですが、実ははっきりとしません。時期的には80年代前半だと思いますが、何かの席で大川さんと引き合わされた、つまり紹介された事が3度くらいはあったようです。変だと思われますか?これは、3人の別々な人が私と大川さんが初対面であると信じて仲介の労を取ってくれたという意味になります。紹介されて、「あれ?この前お会いしましたね!!」という感じですね。

どうしてそんな事がおこるのかとつらつら考えてみますと、大川さんはNHKのテレビの仕事などもしていたのですが、そちらは辞めて千葉を拠点に劇団の活動に専念するようになった時期があり、そのタイミングと重なっていたのではないかと思います。いつ頃からそういう形になっていたのかは私は全く知らないのですが、もしそうならば、新しい人脈を求めていろいろな人にアプローチしていたと考えるのが自然で、つまり「誰かいたら紹介してね!」と頼んで回っていた結果として、複数回紹介されるという珍事が起こってしまった、というのが最も自然な流れと考えられます。

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11/05/2016

大川義行氏の想い出(1)

早いもので友人の大川義行氏が急逝してから3ヶ月が過ぎました。

先日(10月29日)、「大川義行を偲ぶ会」が劇団葬という形で盛大(?)に開催され、気持ちの上でもようやく一段落といったところです。

私は折に触れて、友人と書いてまいりましたが、お互いに「我々は友達なんだから・・・云々・・」という話をした事は全くありませんでしたので、実際はどうだったんだろうというのはちょっと考えてみました。私からは相手はかなり先輩ですので「大川さん」と呼んでいました。決して「大川先生」とは呼んでいませんでした。(したがいまして、これ以降タイトルを除いて「大川さん」で通そうと思います)。

一方大川さんは私を「陽(ヨウ)ちゃん」と呼んでいました。読み方が違う!と、いう話はともかくとして、大川さんが相手を「ちゃん」付けで呼ぶのはかなり珍しいと思います。劇団員たちは、基本ニックネームで呼んでいましたし(ただ、「〇○ちゃん」というニックネームを名乗っていた団員はいました)、大川さんの下で劇団を取り仕切っていた猪俣先生は、「猪俣クン」と呼んでいた記憶があります。もっともこれは、大川さんが私に猪俣先生の事を何か話す時にそう呼んでいたという事で、よくよく考えてみると、直接本人に対してそう呼んでいたかどうかは記憶の中にはありません。

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10/10/2011

録音の世界へ(2)

大学3年生の秋から冬の頃、ちょっとして事件がおこりました。この話は「バンド」のシリーズで既に書いた事ですが、バンドの「メンバー募集」の繋がりの中から1人の人物と知り合いになった事です。彼の名は矢沢和明君と言い、最初は当時私がやっていたバンドに加入してもらうつもりで連絡を取りました。その時には既に別なバンドとの話が先にありましたので、結果的には私の方のバンドに入る形にはなりませんでしたが、その後友人として付き合う事になりました。

その矢沢くんは、自宅にいろいろな機材をため込んでいて、一言で言えば宅録のスタジオのような状態にしていました。これは私にとっては大変な驚きでした。当時の私は大学のスタジオをかなり自由に使える状態で、機材もとても個人では手に入れられないような高価なものが揃っていましたので、他人から見れば羨ましがられるような恵まれた状態でした。しかし、かなり自由に使えると言っても1日せいぜい8時間、日曜祭日は休みですし入試等で学校に入れない期間もありますし、卒業までという期限もありましたので、矢沢くんのような何時でも使えるスタジオは一種憧れの存在でした。

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12/05/2010

録音の世界へ(1)

このシリーズは、「電子音楽」シリーズの続きと「バンド」シリーズの第11回から分岐して来る形の内容になります。この第1回のエントリーは、今までの流れを押さえる形の記述から入りますので、しばらくは内容的に重複する部分がある事をご承知下さい。前記2つのシリーズも合わせてお読みいただければ、全容がわかりやすいと思いますので、どうぞよろしく。

私は元々録音はそれほど強い方ではなかったと思います。もっとも、父がどういう理由なのか小型のテープレコーダーを持っていましたので、いつの間にかそれが私のおもちゃ代わりになっていたという事はあります。その時はテレビから流れる気に入った音楽を片端から録音して聴いていたという形でした。その頃のテープそのものは保管してありますが、それを再生する手段がなかなか無くて、中身を確認する事が出来ないでいます。その後、いわゆるステレオを買ってもらったのが中学に入る頃でした。そのステレオは本体+スピーカー2本の3点セットのタイプで、本体にはレコード・プレイヤーとAM・FMチューナーがあり、録音機能は無かったと思います。その当時の機械は押なべてそんな感じだったと思います。

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11/02/2010

バンドと共に(11)

はっきり覚えていないのですが、いろいろ状況から考えて活動再開した年の秋頃だと思います。ステージ・フライトに一時的にもう一人のメンバーが加わりました。名前は矢沢和明くんと言い、キーボードを得意とするマルチ・プレイヤーでした。彼は、「キーボードをやります」という形でバンド加入希望のメッセージを出していたのを私が見つけて連絡したものです。彼は、私が連絡した時には既に別なバンドに加わる事が決まっていた状態だったのですが、それでも試しにと言うことで一度会ってみる事になりましたが、それで意気投合してしまった訳です。この人は、試しに・・の延長でスタジオに2~3度来てプレイしたりしただけですので、ステージ・フライトの他のメンバーにはほとんど印象が無いと思います。しかし、私にとっては非常に重要な人物でした。

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