12/28/2016

大川義行氏の想い出(22)

ここまで約2ヶ月間に渡って、大川さんとのエピソードについて綴ってまいりました。多少の前後はありましたが、ほぼ時系列に沿って書き進み、昨年末の時点まで到達いたしました。今回はいよいよ最終回になります。その後の出来事に触れながら、筆を置く事にいしたいと思います。

昨年(2015年)末から今年初めにかけて、実は大川さんとのやり取りはそれなりにありました。むしろいつもの年よりも多かった印象があります。12月の「ベリーロールであなたのもとへ」の公演の後、劇団員から音楽のCDが欲しいという話がありました。これは公演の打ち上げに参加した時、同じテーブルにいた劇団員の人たちが言い出したもので、大川さんに話を伝えたところ、大川さん自身が取りまとめる話になり、最初数枚渡し、その後追加注文もあり結局20枚くらいは渡したと思います。その間、なんだかんだで2~3回くらい顔を合わせています。

それとは別に、12月9日から一週間の予定で絵画展に出品したから見に来ないかとのお誘いメールがありました。この時は時間を見つけて行ってみたのですが大川さんは丁度不在で会えませんでした。展覧会自体は、どうもアマチュア愛好家のグループ展のようで、比較的小さめのキャンバスの絵が並んでいました。風景画や静物画が多い中、大川さんの作品2点は女性のポートレートでけっこう目立っていました。モデルは誰だったのでしょうか?先日初めてお会いしたお嬢さんが似ているような感じもいたしました。

» Continue reading

| | Comments (0) | TrackBack (0)

12/27/2016

大川義行氏の想い出(21)

大川さんとばったり会ったのは、共通の知人のリサイタルの会場でのことで、9月12日の事でした。共通の知人の演奏会ですから、会場で会っても不思議ではないと言えばそれまでですが、台本書きに忙しいはずのタイミングで出て来るとは思っていませんでしたので、驚きました。それならば久しぶりに飲もうという話になり、いろいろと話を聞いた訳です。

話の詳細については、どうもここに書く事に差し障りがあるのではないかと思われる内容のものもありますので、あまり詳しくは書きませんが、要するに劇団の活動を続けられなくなった人が複数出たという事だそうです。大川さんにしてみれば、その度に配役を再考したり、台本も書き直したり、という事を繰り返す事になり、なかなか先に進まなかったという事になります。それは、私の立場から言う限りは、仕方の無い事ですので、せめて今後のストーリーの展開を、予定で良いですから教えて下さいという形で話をしました。シニア婚活ミュージカルと銘打っていましたので、結婚式のシーンで「めでたしめでたし」となるような感じで考えていましたが、そうではない事はこの時に初めて知りました。その時に「ちばの川ものがたり」の音楽を合唱曲に編作していると話したのですが、大川さんは凄くよろこんでいました。この編作は台本が手間取っている9月中に完成し、大川さんにも見てもらう事が出来ました。

台本の続きが届いたのは、月が代わった10月6日だったのですが、これからが怒涛の展開になりました。6日には、3曲目の歌詞が届きました。「おらのプロポーズ」という曲名、方言丸出し、「ビバビバノンノン」なんて歌詞も飛び出すぶっちゃけた詩で、例によって翌日には楽譜にして送ったのですが・・・・。曲調がオールドロックンロールというべきか、むしろドドンパでしたが、これが、大好評というのかどうか、大川さんから「最高に楽しい」という件名のメールが舞い込みましたし、状況から言って、大川さんにラストスパートのスイッチを入れる役目を果たしてしまったようです。

» Continue reading

| | Comments (0) | TrackBack (0)

12/23/2016

大川義行氏の想い出(20)

シニア劇団の話は、進展があるのかどうなのか良くわからないまま、時間が経過していました。その前に、スマートコミュニティのサークル活動で、別な曲を用意したはずです。はずです・・と書きましたが、どの曲を用意したのかをはっきり覚えていません。このサークルに、私の曲が使われたという事で、発表があるからとの通知を受けた事は、都合2回ありました。1回目の「南総里見八犬伝の謎」については前回も書きましたが、実際に見にいきましたので覚えています。ただ、その時は音楽を全曲を使ったのではなくテーマの1曲だけで、台本も全く違ったものでした。2回目は私の都合で見に行けませんでしたので、何の曲を使ったのかもわからなくなっています。ところが、この2回目については、大川さんからのメールが残ってます。内容は私が行けなかった事を詫びたメールの返事で、2014年11月9日が本番の当日だった事がわかります。ここで、やっと具体的な日時がわかる状態になりました。そのメールには、シニア劇団の方の練習が始まっているので一度見に来ませんかとも書かれていました。つまりシニア劇団についても、その後の情報がやっとわかったという事になります。

シニア劇団と書いてきましたが、劇団の名称はPPK48と言います。PPKとは、ピンピンコロリの意味だそうで、まあ、わかる人には説明不要、わからない人にはどうでも良いようなものでしょう。48という流行に乗り遅れたような名称もちょっと疑問に思いました。本家のAKB48とその関連だけでも10グループくらいありますし(正確には知りません/苦笑)、全く関係のない「○○○48」というグループ(?)が既にいくつか発足していたというニュースも知っていましたし、その中には老齢者を集めたダンスのチームもありましたので(名称忘れた~!)、「何をいまさら」と思ったのも確かです。この疑問は、最初に劇団の名称を聞いた時に大川さんにも直接ぶつけてみました。大川さんは「あっ、そうなの?」という反応で笑っていました。この劇団は大川さんの発案ではなく、他に創設に尽力した人がいて、「ぜひ大川さんに引き受けて欲しい」と頼み込んだ形でしたので、大川さん自身は名称に関して提案する事はあっても、決定する立場ではなかったのだと理解しています。

» Continue reading

| | Comments (0) | TrackBack (0)

12/19/2016

大川義行氏の想い出(19)

これから書く話が、何年の何月の事だったのか、全く記憶から飛んでしまっています。何か、メール等が残っていないかといろいろ調べたのですが、大川さんが携帯メールで連絡して来るようになった時期で、間の悪い事に、携帯が故障してやむなく機種交換した時の直前のあたりの話ですので、メールでは確認する事が出来ませんでした。携帯の故障は、画面が見えなくなるというものでしたので、中のデータは無事の可能性が高く、携帯を引っ張り出してきて(本体は持って帰りましたので)パソコン等に繋いでみる方法が無くはないのですが、肝心の本体がどこにしまい込んだのか不明という状態です。もちろん私の自主的な記録にも目を通しましたが、うそのように全く記述がありません。とにかく、私自身は記録するほどの事では無いと判断していた訳ですし、大川さん絡みでなければ、記録を掘り起こす必要性も無かった事にもなります。

いろいろな状況から判断して、2013年後半か2014年前半あたりの時期のようです。大川さんから連絡がありました。連絡と言ってもメールだったのか、電話だったのか、あるいは直接来訪を受けたのかも不明です。かろうじて覚えているのは、「南総里見八犬伝の謎」の音楽を使いたいのだけれども音源は無いだろうか?という話でした。一つだけ日時に関する手がかりがあったのですが、SNSで「南総里見八犬伝の謎」のCD-Rを久々に聞きましたと呟いていたのを見つけました。この時の話だとしますと、呟き自体が2013年の7月29日付けですので、その当日か前日かが大川さんの連絡があった日という事になります。

でも、その時はCD-Rを1枚焼き増しして渡しただけだったはずです。で、その後日談がまた日時不明なのです。感覚では2014年の春から夏ごろかなとも思えるのですが、それよりも半年くらい前かも知れません。ともかく、本番があるから見に来ないか?という連絡があったわけです。「本番?」ですよね。いきなり本番なんてケースは大川さんとの長い付き合いの中でも初めての事ですから。しかも「食事用意してあるから」という話もありました。ますます「??」・・・です。

» Continue reading

| | Comments (0) | TrackBack (0)

12/17/2016

大川義行氏の想い出(18)

2011年の10月になって、突然大川さんから電話がありました。それによりますと、旭市が主催する市民ミュージカルで、以前の作品"Kenji"を再演したいとの事です。ご承知のようにその半年ほど前に東日本大震災があり、旭市でも津波の被害者が出ました。これもすでに書きましたが、"Kenji"は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を原作としたミュージカルです。ストーリーはご存知の方も多いと思いますが、主人公が川で溺れた友人との別れと痛手から立ち直る様を描いたもので、震災復興のための公演に相応しいという話でした。旭市の市民ミュージカルはこの時の公演で第7回となっています。大川さんが過去の6回についてどの程度関わっていたのかはきちんと聞いていませんので良くわかりませんが、少なくとも1~2回は関わっていたことが確認できますし、この第7回の時は全面的に主導する形でした。

電話があった日は、出演希望者を集めた顔合わせが行われた当日だったようで、顔ぶれを見て大丈夫だと確信してから、私のところに電話をしてきたらしいです。この作品は再演で既に曲はありますので、私が断るかも知れないという心配は全くしていなかったみたいですね。前回の「だぶきゃ」の件で私が腹を立てていて、「もう二度とやらない!」と言ったらどうするつもりだったのでしょうか(笑)。もっとも、そんな事で腹を立てるような人間では無い事を見透かされていたようにも思います。

出演希望者は市民公募でしたが、後でわかったのですが、過去に何回も出演していた、ベテランと呼んで良い経験者が多数揃っていました。この点、「ちばの川ものがたり」や「南総里見八犬伝の謎」の時のように未経験者ばかりで困るというような問題は無さそうでした。ベテランと言っても主役を務めた2人は共に高校生だったはずで、恐るべきは大川さんの人材育成術だという事になります。本番は翌年の秋で、約1年かけてじっくりと仕上げるというプロジェクトでした。実は現代音楽の方の作曲で忙しくなっていて、日程がタイトだったら断る可能性もあったのですが、1年がかりでしたら何の問題もありませんので、直ぐに承諾の返事をいたしました。

» Continue reading

| | Comments (0) | TrackBack (0)

12/15/2016

大川義行氏の想い出(17)

劇団サンブキッズ版のミュージカル「夢人党」は2009年の5月の連休中に上演されました。本番が近づいてきた時期に、打ち合わせ不足でもう1曲分用意する羽目になったのですが、それ以外はだいたい順調に進みました。その新たに用意した曲も、基本的には音楽ではなく、心臓の鼓動の音のような感じの効果音に近いものですが、シンセサイザーで音を作って録音しましたので、曲と言えなくもないという微妙な感じです。

本番は、大変な熱演で充実したものでした。ただ内容がヘヴィーなので、見終わったらぐったりと疲れた事も確かです。この作品は私の作曲した部分が多くないのですが、別な人の作曲したものを全体的に見直しましたので、1人で最初から作曲するよりもはるかに手間がかかっています。その意味で大仕事をした感触が強いのも確かです。

この公演の時は、大川さん自身が重要な役どころ、タワシのおっさんを演じていましたので、あまり話をするタイミングは無かったはずです。実際話をした記憶は無く、大川さんがニコニコと上機嫌だった印象だけが残っているのですが、どうも次の作品についての話を、どこかのタイミングでしたらしいのです。本当かな?と自分でも思うのですが、そういうメモが残っています。

» Continue reading

| | Comments (0) | TrackBack (0)

12/13/2016

大川義行氏の想い出(16)

さて、ミュージカル「夢人島」です。先に書きましたビデオテープと共に台本の最初の部分が送られて来たと思いますが、例のごとく・・・・・と言うのかどうか・・・タイトルが「夢人党」に変わっていました。これも、なぜなのかと言っても、憶測の範囲を出ないのですが、劇団ルネッサンス版の「夢人島」とは違うものだという事を何とか示したかったのではないか、つまりざっくり言って大川さんの思い入れ、という話にしておきたいと思います。

取り敢えず、前の記事で書いたメロディの問題については大川さんに「このままのメロディでは歌うのが大変だと思いますが」とメールしたところ、「問題のあるところは変えても構いません」との返事がありました。つまり、メロディを改変しても良いとの確約を得られた事になります。その後、楽譜制作の開始です。ここまでお膳立てが整えば、方針は決まったようなものです。歌の曲の初演版の7曲はすべて採用し、問題のあるメロディ等は変更し、・・・これはいろいろな方法を取りましたが、とにかく音域が広いので、それを縮める作業が最優先です。メロディそのものを、元の雰囲気は残しながら高い部分は下げて、低い部分は上げたり、転調して低く(高く)なる部分は、転調の前後を上手く処理して別な調に行くようにしたりです。それとは本質的に別の話なのですが、ついでに言葉のイントネーションとメロディの線が全く合っていないのを修正する作業もしました。イントネーションについては、100%合っている必要は無いのですが、合っていない部分が多ければ多いほど言葉の意味を聞き取るのが困難になるのは理の当然で、元の曲では8割方合っていない印象で、少なくとも許容される限度をはるかに超えています。

» Continue reading

| | Comments (0) | TrackBack (0)

12/11/2016

大川義行氏の想い出(15)

2008年7月頃のある日、大川さんが突然来訪しました。例によって日付等が詳しくわかりませんが、「今日時間ある?たまには飲まない?」なんて感じで電話があったように思います。実はその時の話の内容を記したメモがあり、それが唯一の記録です。大川さんと飲む機会というのはそれなりにあったのですが、1対1で飲んだ事はそれほど多くないですし、あったとしても、たいていの場合は、本番が近くなりどうしても打ち合わせが必要になったタイミングで、それでは飲みながらにしましょうという形になったケースがほとんどです。この時のように、誘いがあり1対1で飲んだのは3回くらいかな、という気がします。もちろん、大川さんが何人かで飲んでいて、私にも声がかかるという形ならば何度もあった記憶があります。

それでは、なぜメモが残っているのかと言えば、実質的には打ち合わせと言えば打ち合わせのようなものだった訳です。内容は次回の劇団サンブキッズの演目の事でした。次回は大川さんの代表作の1つ「夢人島」をやろうと思っているという事でした。大川さんの代表作と言えば、新旧の劇団員たちの意見では「Cカンパニー」(サンブキッズ版では「キッズバンク」)が一番人気なのではないかと思いますが、大川さん本人の思い入れが大きいという意味では「夢人島」なのではないかと思っています。このミュージカルは、もちろん劇団ルネッサンスで何度か取り上げていて、内容が次第に変化しているとの事でしたが、今回劇団サンブキッズで取り上げるにあたって、出来るだけ初演に近い形でやりたい、という思いを聞かされた訳です。つまりこの時は、そういう風にやりたいからよろしく、という意味で誘われたという事ですね。なぜそういう内容の話を持って来たのかは、実際のところはよくわからないとしか言いようがありません。ただ、このよくわからない部分が大川さん本人の思い入れの部分なのではないかとの想像は付きます。この「夢人島」には「タワシのおっさん」という大川さん本人が演じるキャラクターが登場するのですが、この役だけは大川さん自身が自分で演じる事にこだわっていて、他人に任せる事は一度もなかったはずです。この役そのものが、若い頃の大川さんと何か繋がっている、大川さんの原点なのではないかという気がして仕方がありません。

» Continue reading

| | Comments (0) | TrackBack (0)

12/07/2016

大川義行氏の想い出(14)

ミュージカル「南総里見八犬伝の謎」の本番は2008年の3月23日でした。前の記事の後半部分で、何月何日に台本や歌詞が届いた、などとずらずら日付を並べてしまいました。これは珍しく記録があったという意味が大きいのですが、逆に言いますと、大川さんとどういう会話があったのか、という部分の記憶があまりはっきりしていないという意味にもなにります。それだけ強行軍だったのだ、という事なのでしょう。

2~3付け加えるとしますと、まず4曲目の八犬士が登場する部分のダンスシーンの音楽は、台本が届く前に何となく考えていて、結局ボツになったメインテーマのメロディをあらためて採用したものです。これは私が言わなければ誰も気付かない事ですね。しかし、これが見事にはまってるのですから、不思議なものです。それから、本番前日のリハーサルの時に、当日の開演前、会場で流す音楽として適当なものがないだろうか、という話がありました。この話は言い出したのは大川さんかも知れませんが、直接私に話してきたのは音響の担当者の人でした。これについては、私が以前録音した"Music for Art Museum"というCDを持って行って「良かったら使ってください」という形にしました。これは使ってはいましたが、会場が超満員でガヤガヤしていましたので、ほとんど気付く人はいなかったのではなかったかと思います。6曲目の八犬士のアクションシーンの音楽として、ふと思い付きでキース・エマーソン風の音楽にいたしました。盗作ではないのですが、知っている人は直ぐにピンと来るようなサウンドになっています。ちょっとこれで大丈夫なのかな・・と内心思っていたのですが、これが大好評でした。世の中には初めてキース・エマーソンを聞いて大ショックを受けたという人がごろごろいる訳ですが、八犬士役のサンブキッズを中心とした若者たちは、本物のキース・エマーソンは知らないはずですので、逆に同じような衝撃があったのかも知れません。その結果、ノリノリのアクションを演じてくれました。

» Continue reading

| | Comments (0) | TrackBack (0)

12/05/2016

大川義行氏の想い出(13)

2007年の11月25日、突如大川さんから電話があり、その後すぐに1曲目テーマソングの歌詞が送られて来ました。歌の練習が始まると予定されていた日よりこの時点で2週間遅れていました。曲はこれからですので、3週間遅れという事ですね。歌の練習といっても曲は出来ていないのですから、例によって発声練習とかでお茶を濁して・・・・・モトイ!、時間を有効に使っていたようです。どうしてこうなったのか・・ですが、後から聞いた話では、やはり応募してきた人たちが、人数も少なく経験者もほとんどいないという感じだったそうで、追加の人集めに奔走していたようです。出演者が揃わなければ台本にも取り掛かれないのですね。プロの劇団ならば台本を先に書いて、後から配役を決める事が出来ますが、この点が大違いです。結果から見れば、滝沢馬琴役には「ちばの川ものがたり」に出演していた飯村孝夫さんを配し、チュ大法師という重要な役どころに俳優の宇佐美博史さん、その他の出演者やスタッフには劇団ルネッサンスと劇団サンブキッズの精鋭が多数顔を揃えていましたので、逆に言えば最初の状態がどれほどの惨状だったのか想像が付いてしまいます。このミュージカルはあくまでも滝沢馬琴が主人公ですが、馬琴が八犬士の幻覚を見るという設定で八犬士が登場します。八犬士役はダンスというよりも殺陣に近いアクションが要求されますので、普段から演出にアクロバットを取り入れていたサンブキッズのメンバーは、その点うってつけでした。

ともかく、この日から「じゃじゃ馬馴らし」は中断して「南総里見八犬伝の謎」に集中して取り掛かる事になりました。テーマソングは珍しく手間取りました。前の記事で書きました通りオーケストラサウンドを想定してそれなりに準備していたのですが、大川さんは電話で、ポップス調でという希望を出して来ました。詳しく聞いてみると、ストーリーは現代から始まり、八犬伝ツァーの参加者が登場し、「ここが有名な伏姫の岩屋です」なんてガイドさんが説明して、その後に過去のシーンに移っていくという展開だそうで、テーマの歌われるタイミングは現代の部分なのですね。という訳で、それまで準備していたものは全部リセットして新たに決めなければならなくなったわけです。

» Continue reading

| | Comments (0) | TrackBack (0)

12/02/2016

大川義行氏の想い出(12)

「ムービーキッズ」の次のシーズン、2007年から2008年にかけての時期は、相当に忙しかった印象があります。別な言い方をすれば実りの多いシーズンだったという事にもなります。この時は、「じゃじゃ馬馴らし」と「南総里見八犬伝の謎」という2本のミュージカルが生まれました。「じゃじゃ馬馴らし」は劇団サンブキッズの演目、「南総里見八犬伝の謎」の方は千葉県民参加ミュージカルと称して出演希望者を一般公募した形の単発の公演です。この2本は、大川さんにとっても私にとっても書き下ろしの新作になります。大川さんは、劇団ルネッサンスの公演も抱えたいたはずですが、新作2本に挑むという事は、それだけ気力体力共に充実していた時期だったという事でしょう。この2本は大川さんと私のコラボ作品の中では間違いなく最高作の候補です。さらに、大川さんにとっては私以外の作曲家との作品まで含めてもかなりの位置に来るのではないかと思います。実際、後々大川さんが「あれは良かった」という言い方で一番話題にした作品は「南総里見八犬伝の謎」だった印象があります。

実は2本のミュージカルはほぼ平行作業で作られました。最初に話を聞いた時の記憶が無いので困りますが、「次回は2作」と最初から話があった可能性もあります。私としてはっきり記憶しているもしくは記録があるのは、「南総里見八犬伝の謎」の出演者応募締切が8月末でしたので、それまでに「じゃじゃ馬馴らし」を出来るだけ進めてしまおうという事で、夏の間に台本が少しずつファックスで届き、断続的に歌の曲の作曲をしていた事です。そのかいがあって、10月頃には「じゃじゃ馬馴らし」の歌の曲11曲とオープニングテーマの作曲は一通り済み、楽譜の作成までは完成いたしました。音の録音は後回しになっていましたが、本番が翌年の5月の予定でしたので、かなり時間的余裕があった事になります。一方「南総里見八犬伝の謎」の方はなかなか台本等が届かず、11月くらいまで待たされて「大丈夫か?」と心配になりました。こちらの本番は3月の予定でした。

» Continue reading

| | Comments (0) | TrackBack (0)

11/26/2016

大川義行氏の想い出(11)

さて、「ムービーキッズ」の挿入歌は8曲あり、登場順に「かえれかえれ昔に」「ならずもの」「そこにあるものは」「アルバイトなんて」「秘密の稽古場」「ひとりきり」「ショック」「かすかな希望」となっています。他にフィナーレの部分に歌とダンスがありますがこれは「かえれかえれ昔に」と「アルバイトなんて」が再登場する形です。

この8曲のうち「ならずもの」と「ショック」の2曲は私が新たに書き下ろしたものです。この2曲の挿入は、もちろん大川さんのひらめきから出たものです。渡されたカセットテープには、「アルバイト」がM2と書かれていますので、リメーク前の最初のバージョンでは「アルバイト」が2曲目だったのだと判断出来ます。このミュージカルでは、2曲目で登場人物が自分たちの事を歌う、つまり一種の自己紹介をする形になっていますので、アルバイターよりもならずものの方がより相応しいだろう、という判断だったことになります。「ショック」は、物語のクライマックスシーンで、大どんでん返しがありショック!となる部分ですが、歌と踊りでビシッと決めたいと思ったのでしょう。以前のバージョンではセリフだけで構成されていたシーンだったのだと思います。私は「ならずもの」はロカビリー調、「ショック」はバラード調から始まりハードロック調へ移行する形で決めてみました。大川さんはちょっと面食らったのではないかと思っていますが、この2曲は劇団員のメンバーには大好評でした。平成生まれの子どもたちにとってはすこぶる新鮮な音楽に感じたのだと思います。

» Continue reading

| | Comments (0) | TrackBack (0)

11/25/2016

大川義行氏の想い出(10)

前のエントリーでミュージカル「キッズバンク」についていろいろ書きました。・・・が、その後調べてみたところ、かなり思い違いがある事が判りました。何を調べたかといいますと(CD-Rがあるのはある意味当然で、前回の記事も聞きながら書いていました)、CD-Rの他に、当時使っていた台本、楽譜、下書きのノート、大川さんから渡されたテープも残っています。それ等をいろいろ確認したところ、当時の状況がいくつか判明したという事です。

このミュージカル「キッズバンク」については、実は頼まれた時の記憶がありません。前回の記事では、本番が2006年5月でしたので、前の年2005年の夏ごろだったはずだ、と想像で書いてしまいました。もう一つ、以前の曲はアレンジは変えずに再録音したような書き方をしました。ところが、引っ張り出してきたカセットテープの中に、大川さんの手書きの文字で「曲を作り変えて下さい」と書いたものが出て来ました。つまりアレンジを変えていなかった、という点だけでも思い違いがある事になります。で、もう一度記憶を掘り起こしてみようとしたところ、どうも私が依頼された時は台本もほとんど出来ていて、劇団員も歌の練習に入っていたというタイミングだったように思えて来ました。そう思った唯一の根拠は、この作品については、台本が少しずつ送られて来たような記憶が無いのに気が付いた事です。つまり、大川さんが、台本もだいたい出来ていて、練習に入ってから、何らかの理由で曲の方を変える必要があると思った可能性が考えられます。理由として考えられるのは、演出上の都合がありそうですが、歌いにくいなんて事も考えられます。そう考え合わせてみますと、私に話が来た時期は前年の夏ではなく、12月前後だったのではなかったかという事になるでしょう。

» Continue reading

| | Comments (0) | TrackBack (0)

11/22/2016

大川義行氏の想い出(9)

ミュージカル"Kenji"から数年経って、大川さんから連絡があり、次のミュージカル公演の音楽を頼みたいという話がありました。次と言いましても、劇団ルネッサンスではなく、劇団サンブキッズというチームの公演です。2006年の公演の話でしたので、前年2005年の夏から秋にかけての時期だったはずです。劇団サンブキッズにつきましては、私自身はあまり良くわかっているとは言えません。大川さんがあまり詳しく教えてくれなかったからです。劇団の関係者で連絡が付く人が何人かいますので、聞いてみるのが一番かも知れませんが、むしろ、私がどういう理解をしているかを、勘違いがあったとしてもそのまま書いてみた方が良いように思いました。もし、訂正が必要な個所がありましたら、コメント形式で書き足しましょう。事情がおわかりの方がいらっしゃいましたら、コメントの投稿をしていただけますと嬉しいです。

サンブキッズのサンブとは山武郡という地名、いや地域名から来ています。今は合併統合で山武市(さんむし)となっています。微妙に読み方が変わっていますが、どういう経緯でそうなったのかは、私は住民ではありませんので良くわかりません。劇団の拠点は東金市ですが、ここも山武郡東金町から市へ昇格した所ですので、広い意味では山武郡の中という事です。キッズの名前からわかるように団員は基本高校生以下のこどもたちです。

» Continue reading

| | Comments (0) | TrackBack (0)

11/20/2016

大川義行氏の想い出(8)

ミュージカル"Kinji"の次は・・・と書こうと思いましたが、実は1つ書くべき事を忘れていました。その時よりだいぶ以前に、1度だけですが、大川さんの書いたミュージカルの音楽の録音を担当した事がありました。これは録音ですので、作曲にはほとんど関与していません。何故「全然」ではなくて「ほとんど」なのかと言いますと、この時録音だけでなく、同時にピアノの演奏を頼まれまして、録音の現場で調整しなければならない場合、つまり音楽の時間が予想より短くてどうしようかなんて時に、多少はアレンジに口を出したからです。

この演目が「中年物語」というタイトルだったのは記憶にあります・・・いや、正確には思いだしました、ですね。音楽は猪俣先生だったはずです。この時の主演が猪俣先生本人だったのは間違いないはずで、はっきり聞いた訳ではないのですが、猪俣先生がブロードウェイの勉強してきた成果を、劇団ルネッサンスで発表するという性格のものだったと認識しています。これは録音の時の大川さんとその他のスタッフの会話から類推した上での認識で、はっきり聞いた訳ではないというのは、こういう意味です。当然、作曲も猪俣先生であると考えるのが、最も状況と整合しています。

» Continue reading

| | Comments (0) | TrackBack (0)

«大川義行氏の想い出(7)