改題とリューアル、その後
日頃のご来訪どうもありがとうございます。
当ブログ「音楽制作雑記帳」は内容に従って、3つに分割する事にいたしました。それに伴い、ブログのタイトルを「音楽作品紹介」「コンサート情報」「音楽制作日誌」と改題することにいたしました。内容はタイトルでおわかりいただける通りです。
それぞれに関連する記事はほぼ移動いたしました。移行期間の間、ご不便ご迷惑をおかけいたしましたことを、お詫び申し上げます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
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その後の経過ですが、ちょっと残念なお知らせをしなければなりません。
実は5人関係している作曲家の1人から、自分(その人)の作品が(作品としての)出来が良くないと思うのでCD化は辞退させてもらいたい旨連絡がありました。それでどうすべきかいろいろ考えてみましたが、5人の作品が1つになった形が完全な記録であるとの思いが大きく、CD化という形は凍結させていただくことにいたしました。これは、当分の間凍結という意味で時期が来れば再開する含みはあるのですが、私から積極的に再開を画策する事はいたしません。作曲する人のそういうデリケートな心情は十分に理解しているつもりです。
ずっと読んでいただいて期待されていた方がいらっしゃいましたらまことに申し訳無いのですが、そういう事情という事でご理解いただきたいと思います。
なお、私の手元に音がありますので、それなりの理由が提示出来て、資料として試聴してみたい方にお聞かせする事は可能だと思います。理由として考えられるのはスタッフ等で当事者だった方、公演を見に来られた方、音楽資料の収集を広くなさっている方もしくは機関などが考えられると思います。興味のある方はお問合せ下さい。
そうこうしているうちに、多くの楽器店は店内に掲示板があり、「メンバー募集」が掲示されている事に気付きました。その当時も雑誌「プレイヤー」は存在していたのですが、私は(不覚にも)この雑誌が「メンバー募集」の情報交換の目的で多く買われていたという事実を知らないでいました。という事で、私にとりましては、楽器店の掲示板が唯一の情報源だったわけですが、その事に気付いたその日だったか次の日だったか、とにかくほとんど最初の頃に見かけた記事が非常に気になりました。詳しい文面は覚えていませんが、「ビートルズを好きなキーボード募集」のような感じだったと思います。
その頃は、洋楽ポピュラーを聴き始めた時期から1年以上経過していたと思いますので、ビートルズ関係はほとんど、その他にもいくつかのグループを聴いていました。記憶がいまいちはっきりいたしませんが、前回名前をあげたバンドの他にも、ピンク・フロイド、10cc、ELP、トラフィックあたりは聞いていたと思います。とにかく、掲示板の記事が気になりましたので、そこに書かれている電話番号を一生懸命記憶しようとしました。何故か筆記用具は使いませんでした。たまたま持っていなかったのだと思います。で、思いついたのが数字をドレミの音に置き換えて、そこで出来たフレーズを記憶するという方法です。これは思いがけず良い方法で、その時覚えたフレーズはいまだに頭の中にあります。とにかく、これがステージ・フライトとの出会いのきっかけです。
図書館で借りたビートルズの「オールディーズ」、イエスの「海洋地形学の物語」、ムーディ・ブルースの「童夢」、ストーンズの「レット・イット・ブリード」、自分で買って来たミッシェル・ポルナレフとサイモン・アンド・ガーファンクルの日本独自の企画編集盤、エアー・チェックしたビートルズのソロ・・・・これは、2回に分けてジョンとポール、ジョージとリンゴのソロ・アルバムからセレクトした曲を流した番組でしたが、ジョージとリンゴの回は録音に失敗して、テープとして何度も聞いたのはジョンとポールのみです・・・・これが最初の頃に聞いた洋楽ポピュラーのリストです。この中で一番良かったのがイエス、その次がムーディ・ブルースでした。今でも続いているプログレ好きはこんなところから来ているのでしょう。不思議なのがピートルズ関係の印象があまり良くなかった事です。サイモン・アンド・ガーファンクルも聞いていて辛かったのですが、この場合は、曲が年代順に並んでいた、つまり初期のフォーク調の曲が最初に並んでいたので無理も無いところでしょう。いきなり英語の歌詞のフォークは、歌詞の内容も理解できませんし、ちょっと辛いですよ。
まあしかし、その後まずビートルズを揃える事から開始いたしました。何故かというと・・これがまあ、誰も思い付く人はいないような理由なんですね。
このシリーズの前回のエントリーを書いてから3年以上が経過しています。いきなりここで続編を書くのは、当然ながら事態に変化があったからです。前回の時点では歌の録音のところで止まってしまっていました。誰か歌手を頼むというのは、けっこう大変な事です。曲自体、半端ではなく難しい曲が揃っていますので、その辺にいる歌自慢の素人というわけには行かず、かなりの実力のあるセミプロ以上の人材が要求されます。また、それとは別に、題材が題材ですので声質が合うか合わないかという大問題があります。つまり、やってみて「やはり声が合いません」なんて後から断わるという可能性があってはならないので、選ぶ時点で相当に慎重にならざるを得ないのです。
ところが、時代が変わると話が変わってくるのです。この3年で何が変わったのかと言いますと・・・・
私の活動歴の中に、ご多分に漏れずと言うべきでしょうか、ポピュラー音楽との関わりがあります。ご多分に漏れずと書きましたが、経歴的にはちょっと変わっているかなとも思っています。一番最初は、映画音楽全集のレコードです。LP10枚組みでしたので、かなりの量があります。今はしまい込んでありますので、曲目等の詳細がわかりませんが、「風とともの去りぬ」「エデンの東」「第3の男」「オズの魔法使い」なんて感じでしたし、西部劇方面などもかなりあったと思います。年代的に言って当然なのですが昔の名画が中心です。この全集はかなり好きでした。
その後、中学時代だったと思いますが、一時的に「ベスト10」等の歌謡番組を見ていた事があります。最初は面白かったんですが、2~3ヶ月で飽きました。歌謡曲のマンネリ気質にすぐ気が付いて、興味を全く無くしてしまったのですね。現在でもマンネリのジャンルにはどうしても興味が湧かないのですが、この時期に身に付いた一種の気質だと思います。
作品の内容についての説明です。他のエントリーでいろいろ書きましたので、重複してしまいますが、先ず概要です。この作品は、千葉の東金市を中心に活動している児童劇団サンブキッズの定期公演のために書かれたオリジナル・ミュージカルで、脚本と演出は大川義行氏です。彼は、千葉では一番の歴史を誇る劇団ルネッサンスの主宰者でもあり、テレビや舞台で活躍する一方では、市民ミュージカルの総監督を努めたり、千葉大学で教鞭をとるなど、多方面で活躍している人です。
3月の演奏会での私の作品は、木管五重奏のための「1楽章ソナタ」第1番、第2番です。この、「1楽章ソナタ」という名称については多少の説明が必要かと思いますので、1つのエントリーとして書く事にいたします。
以前、と言いましても10年以上前になってしまいますが、金管五重奏のための「1楽章ソナタ」という作品を3曲作曲いたしました(この3曲は日本作曲家協議会より出版されています)。この時は、実際は6曲を計画していて、残りの3曲も1曲は下書きのレベルでは完成していますし、他の2曲も6割くらいは出来ていますが、いろいろ理由があって中断しています。今回の木管五重奏版も一貫した系列の作品と考えていただいて構いません。想像がつくと思いますが、他の編成の作品も機会があったら書きたいと考えています。
前回書いた部分は、4年生10月の芸術祭のところまでです。実質的には、電子音楽に浸っていた期間は、これで終了という事になります。何故かと言えば、その後は卒業作品(「交響的幻想曲」というタイトルの曲です)の作曲に没頭したからです。止せば良いのに、48段の五線紙で80ページを超える曲を書いてしまいました。これは、他の人が書く量の3倍くらいはあると思います。実は、最初の予定はもっと長い曲だったのですが、締め切りに間に合わなくなりそうで、やむなく短縮したものです。当然ながら、10月以降はこちらにかかりきりだったんですね。
電子音楽を続ける気ならば、大学院に行くのが最善の選択で、次善の選択は故意に留年するという手がありました。しかしながら、いろいろな状況が重なり、そのどちらも選択しませんでした。状況というのは、かなり錯綜していますが、「室内楽工房」という名の作曲家グループに参加し、プロの作曲家として作品発表する機会を得た事と、当時携わっていたバンド活動が軌道に乗り、今で言うインディーズ・バンドという形なのですが、プロとしての活動を始めてしまった事、の2つが大きかったと思います。
この作品は、既にいろいろと書いてきましたように、ピアノの即興演奏を録音したテープを土台にし、それに電子音を被せながら編集のテクニックを駆使して製作した作品です。構想自体は前の作品(「電子音楽によるファンタジー」)を作っている時、既に「次の曲は・・」と考えていて、即興演奏の練習自体は断続的に続けていました。キース・ジャレットのソロ・コンサート・シリーズ、特に全世界に衝撃を与えた「ケルン・コンサート」を繰り返し聞き、「即興」の本質を体得しようとしました。私の(当時の)ピアノの実力は、まあ平均だったと思います。自慢出来る事があるとすると、高校時代に学校のオーケストラでピアノ協奏曲(ベートーヴェンの1番)を弾いた事と、同じ頃ちょっとしたリサイタルを(何度か)経験している事くらいでしょう。こういう経験だけは抜きん出ていたかも知れませんが、テクニック的に平均と言うのは、ピアノ科以上の実力者と、全く弾けないに等しい人と、両極端が多い作曲科の中にあっては、一番中途半端な位置と言えると思います。当然ながら即興の練習の経験は無く、この時に本当にゼロからスタートした事になります。「よし、録音しよう」という気持ちが高まるまで、半年くらいの期間を要しました。本題から外れますが、この練習のお陰で、それまで平均(中途半端)だった私のピアノの実力がはっきりと伸びたと感じています。ポイントは、どんなピアニストにも絶対に負けない長所、具体的には手の大きさと柔軟性(13度を同時に弾けます)なのですが、それをはっきりと自分で認識した事と、録音に対する集中力(コンサート以上だと思います)を育てる方法を学んだ点です。この経験が後のピアニストとしての活動の原点になっていると思います。詳しい事につきましては別に書く機会があるでしょう。
その年の夏休みは、かなり学校に通いました。前年に引き続いて芸術祭に電子音楽のコンサートをやる事になって、そこで発表する作品の製作に没頭いたしました。芸術祭に参加する事は、全く既定の方針という事で、みんなそのつもりでいたと思います。少なくとも、「やろうかどうしようか」と相談した覚えはありません。
さて、その夏に製作した作品が「ピアノと電子音による小協奏曲」という曲です。ピアノの録音自体は、春頃にやっていました。その頃から曲のコンセプトは決まっていたと思います。芸大の5階の録音室には、数台のグランドピアノがそれこそ無造作にころがっていました。その中の安っぽい1台などは、調律練習用とか実験用とか称して、調律も勝手にいじって良し、プリペアード・ピアノもOKという状態でした。このピアノは、誰かが研究用に純正率に調律したら、その次に来た人が「音が狂っている」と言って平均率に直してしまった、という逸話があるそうです。
今回は、さらりと流します。
いや、実は資料を探していたのですが、見つからなかったのです。ですから、今後見つかって詳しく書けるようになったら、書き直します。
翌年、つまり私が4年生の時、7月頃に電子音楽のコンサートが学内で開かれました。これは、前年より一歩進んで、「公開」つまり、一般の人も入場出来る形でのコンサートでした。出品者も学生(大学院生)中心よりも、中堅どころの作曲家が多く参加いたしました。前述のように資料が見つからないので、詳しく書けないのですが、南弘明氏が出品していたのは覚えています。その作品は、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に基づいた、朗読と電子音による作品でした。しかし、正式な作品のタイトルは覚えていません。南氏のHPがあった記憶がありますので、調べようかと思いましたが、簡単な検索ではわかりませんでした。
芸術祭が終ると、少々のインターバルの後に、後期の日程に入っていきます。その時は、特にこれと言った課題は出ませんでした。「自分でテーマを探してみましょう」という意味もあるでしょう。ただ、後期は活動が閑散としてしまうという意味の方が大きいと思います。実は、作曲科の学生は、この時期提出作の作曲をしなければなりません。私も含む3年生はオーケストラ作品、上の学年の4年生は当然卒業作品となります。卒業作品は一応何でも良いことになっていますが、電子音楽やテープ音楽は多少問題です。つまり、楽譜を提出しなければならない事になっていましたので、テープ音楽と言えども楽譜を製作しなければならなかった訳です。実際問題として卒業作品として、テープ音楽作った人は、過去にも現在にも聞いた事がありません。何でも良いという建て前はともかく、ほぼ100%オーケストラ作品と決まったようなものです。オーケストラ作品は、書くのに時間がかかります。それだけに集中しても最低1ヶ月は欲しいところですし、提出の時期が年度末の試験の時期と重なりますので、後期に入った頃には準備にかかっていなければなりません。
この作品は、タイトルからもわかるとおり、ミュージック・コンクレートに挑戦したものです。又、テープ作品としては2作目のものになります(ただし、1作目は明らかな引用があり、引用についての著作権処理がされていませんので、今後公開する予定は全くありません)。純粋なミュージック・コンクレートを目指した作品は、私の作品一覧の中にはこの1曲しかありません。しかし、ここで獲得した手法は、その後の私の作品郡にかなりの影響を与えています。ミュージック・コンクレートの手法をその作品の1つの要素として取り入れているケースは、自作曲でも編曲作品やプロデュース作品でもかなりの数にのぼります。中には、楽譜上の作品に取り入れたケースもあります。その意味では、ターニング・ポイントに当たる作品という事が出来ます。
ミュージック・コンクレートの説明は別な記事にも書きましたが、かいつまんで書けば、1948年頃、フランスのピエール・シェフェールという作曲家を中心に、フランス放送の実験スタジオで製作が始まったもです。内容的にはテープ音楽の1つの分野として捉えるべきですが、日常的に耳にする音、例えば雨や風の音とか、動物の鳴き声や、車の音等、基本的には楽器音ではない音を録音したテープを材料として、テープ編集の技法を駆使して、最終的にテープ作品としてまとめるという作曲法です。ドイツで始まった電子音を中心としたテープ音楽(通常「電子音楽」と言われています)とは好対照と言えると思います。
日時の記憶の無いある日の昼下がり、録音機材を抱えて、さっそうと繰り出しました。ここで録音機材について説明すべき、という事は重々承知しております。・・・が、覚えていないんですよね。情けない事に・・。ご存知の方もいるはずですが、外国(米?独?)のメーカー製の、ポータブルのオープン・テープ用の録音機で、小型ながらプロ用としての十分のスペックを誇っていました。値段も7桁に届いていたはずです。マイクも又覚えていないんですが、野外録音用の集音の利くタイプと、ごく普通のダイナミック型とを2つ携えていたと思います。メーカーはソニーだったかも知れませんが、シュアーあたりかも知れません。学校にはノイマンもありましたが、まさかそれは持ち出さないでしょう。うっかりぶつけて壊して、「ハイ!○百万円」なんて世界はちょっと怖いですからね。
最初は、手始めに大学の中を回ってみました。ところが、これはあまり良ろしくないのですね。少なくとも音楽学部内は。ご存知の方も多いことでしょうが、音楽学部に足を踏み入れると、あちらこちらからいろいろな音が聞こえてきます。多くが、誰かが何かを練習している音なのですが、複数の楽器音やら歌声やらが雑踏のごとく、ワーッと押し寄せて来るわけで、中には何の曲のどの部分か、が明確に判ってしまうものがちりばめられていて、とてもじゃないですがミュージック・コンクレートの素材としては不適切なものばかりです。
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