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11/02/2010

バンドと共に(11)

はっきり覚えていないのですが、いろいろ状況から考えて活動再開した年の秋頃だと思います。ステージ・フライトに一時的にもう一人のメンバーが加わりました。名前は矢沢和明くんと言い、キーボードを得意とするマルチ・プレイヤーでした。彼は、「キーボードをやります」という形でバンド加入希望のメッセージを出していたのを私が見つけて連絡したものです。彼は、私が連絡した時には既に別なバンドに加わる事が決まっていた状態だったのですが、それでも試しにと言うことで一度会ってみる事になりましたが、それで意気投合してしまった訳です。この人は、試しに・・の延長でスタジオに2~3度来てプレイしたりしただけですので、ステージ・フライトの他のメンバーにはほとんど印象が無いと思います。しかし、私にとっては非常に重要な人物でした。

矢沢くんは、私の家から比較的近い所(車で5分くらい・・・近いと言っても歩ける距離ではないですね)に住んでいました。初めて会った時私が彼の家に行ったのですが、部屋に通されて驚きました。おそらく応接間を彼が占拠してしまっていた形だったと思いますが、10畳くらいの比較的広い部屋の中央に応接セットのソファーと机がおかれていて、一角にドーンとドラムセットが置かれ、その向かいにはエレクトーン、その上にシンセサイザー、片隅にはアコースティックやエレクトリックのギターやベース、そしてアンプ、別の一角にはアップライトのピアノ、棚の上には8チャンネルのマルチ・トラック・レコーダーがありました。マイクやマイクスタンドもあったと思います。つまり今で言うところの宅録のレコーディング・スタジオになっていたわけです。そして、彼が自分で多重録音をしたテープを聞かせてもらいました。それは、ほとんどの曲が、彼自身が手弾きでいろいろな楽器を演奏して録音したものでした。数曲ではエレクトーンに搭載されたリズム・ポックスが使われていましたが、その中に、リズム・ボックスを鳴らしながら、エレクトーンのペダルでベースを演奏しながら、ギターでアドリブを演奏し、一発録りを行った曲がありました。確かに当時の機材では、なるべくダビングの回数を少なくして録音するのが絶対的なセオリーだった訳ですが、それにしてもリズム・ボックスが含まれていたにせよ、複数の楽器を同時にコントロールしながら録音するなんてほとんど神業の域に見えたわけです。

私は驚いたのと同時に羨ましくも思いました。何故ならばこれが当時私が一番やりたかった事だと強く感じたからです。もちろん、その頃は芸大の録音スタジオを自由に使えたのですが、スタジオの中が広すぎて、一人で多重録音という形はかえって難しかった意味があります。彼と会った時から私は録音という作業に本当の意味でのめり込み、そのための機材を少しずつ集めていきました。ただし、この話の続きはバンドの話から分岐して別の方向に行ってしまいますので、別のシリーズとして書いていこうと思っています。

さて、活動再開後のステージ・フライトですが、カバー曲がかなり増えてしまったこともあり、レパートリーが20曲を遥かに超えてしまっている状態でしたので、機会を見つけていろいろなところで演奏するようになっていました。コンテストに出場もしましたし、「○○フェスティバル・バンド募集」なんて催しに顔を出したり、何かのイベントで演奏したりという感じです。ただ(例によって)いつ何処で何を演奏したのかの記録が無く、記憶もあやしいので具体的に書けない状態です。この時期のライブ演奏の録音テープが1本だけあるのですが、残念な事に日時については何も書かれていません。聴いてみると「スカイ・スクレイパー」、「ひとりで僕は」のオリジナル2曲、「キャプテン・カリブ」、「L.A.チェンジズ」のカバー2曲、計4曲のようです。それで20分以上演っているのですから、かなりのものです。「スカイ・スクレイパー」が延々とアドリブが続く長大なアレンジになっているのが大きな理由で、計っていませんが10分はあると思います。

矢沢くんの話があってから後の冬の時期だと思いますが、あるライブ演奏付きのレストラン・バーのような店で毎週演奏するという話が舞い込んで来た事がありました。フェスティバルのようなコンサートに出ていると、その伝から話が回ってくるという事なのでしょう。ノーギャラで食事だけは付くという条件でしたが、武者修行くらいのつもりで引き受ける事にしました。今思えばこの時が一番プロに近づいていた瞬間だったと思います。ただ、全員にヴォーカルが弱点だという自覚があり、ブッカーTを中心にリー・リトナーやセクションなどのインスト曲のカバーばかり演奏していましたので、本当に本気でやる形からは逃げていたと言うしかありません。その店は誰が見ても客がほとんど入っていなく、半年も経たないうちに閉店になりましたし、その間メンバーもある種の限界を感じていたように思います。メンバーのうち、高橋君は理工科系の大学に進学したのですが、学年が進むに従って学業がだんだん大変になっていくのが他のメンバーの目にも見えていました。康雄くんはプロになりたいと言う意識は持っていたと思いますが、楽譜もあまり読めないギター少年あがりでは、実はプロへの道は極めて難しいと言わざるを得ず、本人もそれを強く感じ始めていたと思います。実は康雄くんに関しては学業がどうなっていたのか私は知らないのです。これは私の一方的な想像なのですが、最初はプロを目指して音楽系の専門学校に行っていたのが、終了後あるいは途中で方向転換して、就職に有利になるタイプの外語系の専門学校に入り直したのではないかと思っています。そんな事もあり、上記の店が閉店になった以降、次第にメンバー4人が顔を合わせる機会が少なくなっていったのは確かです。

さてこの後の話ですが、実は2つに分岐していくことになります。1つは、高橋くんと康雄くんが時間が取りにくくなってきたので、残った憲行くんと私の2人で録音をするという話。もう1つは、他のメンバーには承諾を得て、私は別なバンドでの活動を模索するという話です。録音の話は「録音」の新シリーズとして、バンドの話は「バンド」シリーズの続編として続くことになります。少し複雑に思われるかも知れませんが、ご容赦願います。

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