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11/12/2016

大川義行氏の想い出(5)

さて、前の記事では私のところに話が来る以前の経緯については、憶測が入るからという理由で詳しく書く事を避けましたが、今回はまず憶測満載で、おそらくこうだったのだろうと思う事を書いてみましょう。

「ちばの川ものがたり」の話題が最初に出たのは、花見の宴会の雑談からだったという話は伝わっています。私が知っているのは「恒例の猪鼻山での花見」の席でという事で、どういう人が集まる花見なのかはわかりませんが、大川さんも出席していたようです。ただ、大川さんはその時は自分が関わろうとは思っていなかったようです。最初に台本を書いた人が非常に乗り気で「是非やりましょう」となったらしいです。この時の花見がその年(2001年)の事なのか、前年の事なのか不明です。常識的に考えるならば、3月頃の単なる思い付きを、その年の11月の公演に持ち込むとは思えないのですが、その人が準備委員会を組織し、千葉市に売り込んでみたら今年が千葉市の80周年だからその記念公演として是非!という話になり、「それ急げ!」となったとするならば、その年の3月というセンも十分可能性があります。

案外、その最初の台本を書いた人が、最初から80周年事業としてやる事を目論んでいて、花見の機会に酒の勢いを利用して賛同者を集めた上で、迅速に話を進めてしまったという疑いもあります。ここまで言ってしまうと憶測の範囲を超えてしまうかも知れませんが、後援として全国紙、地方紙、地方テレビ局など10社もの名前があり、そうとうに用意周到に根回しがされていなければあり得ないと思いますので、案外真相なのかもと感じます。

8月なんて切羽詰まった時点で私のところに話が来たのが何故なのかという事が謎と言えば謎なのですが、先に作曲担当の人が決まっていたところ、台本を見て「私は出来ません」と降りたと考えれば辻褄が合います。私自身もあの台本に作曲して下さいと言われたら即決で断ります・・・いや、読んでもわからないのですから即決出来るかどうかそれ自体が不明ですが、断るという結論に変わりはありません。

大川さんが実行委員会に名前を連ねていたのかどうかは、今は確認出来ていません。しかし、名前を貸す程度で参加していたはずだと思います。8月の実行委員会はかなり大変だったはずです。憶測も含めて書きますと、台本は酷い、作曲家は降りた、せっかく公募した出演希望者はド素人と老齢者と子どもばかり、千葉市その他の後援も会場も決まっていて今更止められない、八方塞がりでお通夜のような状態だったのではないかと容易に想像できます。そんな中で、こうなったら大川さんに頼るしかないという話になった事も目に見えるような気がいたします。

ともかく、大川さんが引き受けた時の事情はこんな感じだったと思います。大川さんが凄かったのはここからになります。まず、委員のメンバーに対して、公演に対する権限をすべて任せるという約束を取り付けました。これをしないと、いちいち実行委員会に承認を求める作業が必要になり、とても公演日には間に合いません。その後、速攻でキャストの選定です。私に話があったのもこのタイミングだったはずですが、メインの出演者として二期会の飯村孝夫さん、民芸の斉藤尊史さんに出演の承諾を取り付けました。飯村さんはそれ以前に声楽関係のコンサートで大川さんと私と共演(?)していました。斉藤さんは大川さんの劇団のOBで、プロの俳優になった人です。さらに、バレエ教室主催の野口翠子さんに、ダンサーの手配と振付を依頼し承諾を得ました。それから、大川さんの劇団員やOBに声をかけ、素人だらけの出演希望者の中に配しました。大塚ガオさん、深見誠さん、雨森優子さん、関原ひろみさんの4人はそういう関係の人とわかっていますが、他にもいたかも知れません。舞台美術、衣装、舞台監督、音響などのスタッフは劇団ルネッサンスのチームをそっくりそのまま揃えました。ここまでで、1週間はかかっていないと思われます。

一方、出演希望者にレッスンを付けなければなりません。最初のうちは基礎練習と称して発声練習をしたり、演技指導と称して既存の書物の朗読をさせたりしていましたが、それをだらだらと続ける訳には行きません。ここが大川さんの真骨頂なのでしょうが、兎に角テーマソングを作ってしまうに限るという事で台本に先んじてテーマの詩を作り、私のところへ送り付けてきました。私の方も、予めいろいろな状況は聞かされていて、準備をしていましたので、速攻で曲を作り2日後には楽譜を送り付けました。その翌日のレッスンで歌の練習に入ったというタイトな日程でしたが、ほとんどの出演者はバタバタしていた舞台裏には気付いていなかったと思います。実際の音楽の録音には翌週までかかったと思いますが、これは、歌の前にオーバーチュアとバレエの音楽を入れて欲しいという注文がありましたので、少し時間がかかったという事です。しかし、初めて楽譜を渡したその翌週のレッスン時に音を聞かせたのですから、出演者の人たちはごく普通の流れと思っていたはずです。

長くなりますので、今回はここで区切ります。

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