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11/05/2016

大川義行氏の想い出(1)

早いもので友人の大川義行氏が急逝してから3ヶ月が過ぎました。

先日(10月29日)、「大川義行を偲ぶ会」が劇団葬という形で盛大(?)に開催され、気持ちの上でもようやく一段落といったところです。

私は折に触れて、友人と書いてまいりましたが、お互いに「我々は友達なんだから・・・云々・・」という話をした事は全くありませんでしたので、実際はどうだったんだろうというのはちょっと考えてみました。私からは相手はかなり先輩ですので「大川さん」と呼んでいました。決して「大川先生」とは呼んでいませんでした。(したがいまして、これ以降タイトルを除いて「大川さん」で通そうと思います)。

一方大川さんは私を「陽(ヨウ)ちゃん」と呼んでいました。読み方が違う!と、いう話はともかくとして、大川さんが相手を「ちゃん」付けで呼ぶのはかなり珍しいと思います。劇団員たちは、基本ニックネームで呼んでいましたし(ただ、「〇○ちゃん」というニックネームを名乗っていた団員はいました)、大川さんの下で劇団を取り仕切っていた猪俣先生は、「猪俣クン」と呼んでいた記憶があります。もっともこれは、大川さんが私に猪俣先生の事を何か話す時にそう呼んでいたという事で、よくよく考えてみると、直接本人に対してそう呼んでいたかどうかは記憶の中にはありません。

1度だけですが年齢の話になった事があります。昨年だったと思いますが、一緒に電車で移動した事があり、優先席に座れるかどうかという話になり、「我々は座っていいんだよね」と言われてちょっと返事に戸惑っていたら、「あれ、陽ちゃんは何歳だっけ?」と問われました。普通に答えたところ「えー!、僕と同じくらいと思ってた」と本気でビックリされてしまいました。確かに大川さんが日ごろ接している若者たちと比べればかなりの年長ですが、「同じ」はひどいじゃない!と反論して大笑いになったのですが、大川さんが私を友人と思ってくれていた事を示す一例にはなりそうです。

大川さんについてはいろいろな人がいろいろな場所で書いている様子がありますが、私は私で、私が知っている事を書いておくのも良いだろうと思いました。もしかしたら、あまり知られていない話もあるかも知れない、と思ったのが大きな理由です。私は、大川さんにとっては、いざという時のためのリリーフエースのような立ち位置にいたのではないかと思います。前述の猪俣先生は、演技・歌・ダンス3拍子揃ったミュージカル俳優としてだけではなく、演出家、舞台監督、作曲家、と何でもこなせる人ですので、普段の活動では十分に大川さんの右腕としての役割をこなせていました。ところが、大川さんの元には当人も予定してなかったような急な話が持ち込まれる事がしばしばあったようで、そういう時に私に登板の話が舞い込むという感じだったと思います。つまり、私が知っている話は、大川さんの普段のレギュラー的な活動の場から離れたものが多かったという事になります。あまり知られていない話があるかも知れないと思ったのは、こういう背景があるからです。

次回に続きます。

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