« 大川義行氏の想い出(1) | Main | 大川義行氏の想い出(3) »

11/06/2016

大川義行氏の想い出(2)

私が大川さんと初めて会ったのは・・・・と、書き始めたいのですが、実ははっきりとしません。時期的には80年代前半だと思いますが、何かの席で大川さんと引き合わされた、つまり紹介された事が3度くらいはあったようです。変だと思われますか?これは、3人の別々な人が私と大川さんが初対面であると信じて仲介の労を取ってくれたという意味になります。紹介されて、「あれ?この前お会いしましたね!!」という感じですね。

どうしてそんな事がおこるのかとつらつら考えてみますと、大川さんはNHKのテレビの仕事などもしていたのですが、そちらは辞めて千葉を拠点に劇団の活動に専念するようになった時期があり、そのタイミングと重なっていたのではないかと思います。いつ頃からそういう形になっていたのかは私は全く知らないのですが、もしそうならば、新しい人脈を求めていろいろな人にアプローチしていたと考えるのが自然で、つまり「誰かいたら紹介してね!」と頼んで回っていた結果として、複数回紹介されるという珍事が起こってしまった、というのが最も自然な流れと考えられます。

何かの席と書きましたが、当時の私は政治家や産業界人の集まるパーティー等には間違っても行くはずはありませんので、どこかに顔を出したとしたら演奏会の打ち上げくらいしか考えられません。逆に言えば、大川さんの方がそういうところへマメに顔を出していたという事にならないでしょうか。新たな人脈作りを求めて行動していたと判断できる有力な材料だと思います。

演奏会の打ち上げと言っても、単に見に行っただけの演奏会の打ち上げに顔を出す事は通常ありませんし、私の自作曲が発表された演奏会の場合は、当時は東京中心の活動だったという事もあり、思い当たるものは1つもありません。可能性が高いのが編曲を頼まれた演奏会なのですが、これが困るのですね。つまり、この時期に編曲した曲についてはきちんとした記録をとっていなくて・・・日時場所はもちろん何曲あったのかすら不明なのです。1つ「もしかしたら」と思う演奏会があります。それは、名前をはっきり覚えていないある少年少女合唱団の公演で、私は編曲を頼まれました。曲目はサウンド・オブ・ミュージックより抜粋だったとの記憶があります。曲目が曲目ですので、大川さんが演出を担当していた気がいたします。ですが、合唱団の名前を覚えていないことでバレてしまいますが、演奏会の記録が手元に残っていませんので日時は全く不明です。そもそも、このコンサートの打ち上げで大川さんと会っていたとしても、(大川さんに会った)最初の時なのか2度目なのか3度目なのかがわかりません。この話はこれ以上進めようがありませんね。

その後、大川さんとは何度もご一緒しています。たいていの場合、コンサートの機会です。大川さんは演奏家ではありませんが、コンサートの内容によっては朗読が入ったり、ミニオペラ風や寸劇を交えた形のステージにしたり、大道具小道具の類を用いたりという事がけっこうあり、そういう時に大川さんに声を掛けるという事が頻繁にありました。役割としましては、単にナレーション担当だったり、演出担当だったり、美術担当だったりで、いろいろな形がありました。これも、大川さんがマメに人脈作りをしてした成果と言ってしまうとそれまでなのですが、音楽家は音楽家仲間以外の人脈は貧弱そのものですので、事あるごとに「大川さん」となってしまうのは、必然的な流れと思います。

そんな中で、私にとって一番重要なコンサートは1986年7月3日に開催されました「第2回平和を願うコンサート=原民喜への思いをこめて」です。このコンサートにつきましては、いろいろ説明しなければならないと思いますので、次のエントリーで詳しく書きましょう。

|

« 大川義行氏の想い出(1) | Main | 大川義行氏の想い出(3) »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/98169/64447112

Listed below are links to weblogs that reference 大川義行氏の想い出(2):

« 大川義行氏の想い出(1) | Main | 大川義行氏の想い出(3) »