« 大川義行氏の想い出(21) | Main

12/28/2016

大川義行氏の想い出(22)

ここまで約2ヶ月間に渡って、大川さんとのエピソードについて綴ってまいりました。多少の前後はありましたが、ほぼ時系列に沿って書き進み、昨年末の時点まで到達いたしました。今回はいよいよ最終回になります。その後の出来事に触れながら、筆を置く事にいしたいと思います。

昨年(2015年)末から今年初めにかけて、実は大川さんとのやり取りはそれなりにありました。むしろいつもの年よりも多かった印象があります。12月の「ベリーロールであなたのもとへ」の公演の後、劇団員から音楽のCDが欲しいという話がありました。これは公演の打ち上げに参加した時、同じテーブルにいた劇団員の人たちが言い出したもので、大川さんに話を伝えたところ、大川さん自身が取りまとめる話になり、最初数枚渡し、その後追加注文もあり結局20枚くらいは渡したと思います。その間、なんだかんだで2~3回くらい顔を合わせています。

それとは別に、12月9日から一週間の予定で絵画展に出品したから見に来ないかとのお誘いメールがありました。この時は時間を見つけて行ってみたのですが大川さんは丁度不在で会えませんでした。展覧会自体は、どうもアマチュア愛好家のグループ展のようで、比較的小さめのキャンバスの絵が並んでいました。風景画や静物画が多い中、大川さんの作品2点は女性のポートレートでけっこう目立っていました。モデルは誰だったのでしょうか?先日初めてお会いしたお嬢さんが似ているような感じもいたしました。

年が明けてから、突然2人で新年会をしないか?と電話があり、出掛けた事がありました。日時の記録が無いのが残念なのですが、後にも先にも新年会と言う形は初めての事でした。後から考えてみると、何か大川さんの方に予感じみたものがあったのではないか・・・・と書きたくなるところですが、あまりそういう事を声を大にして言おうとは思っていません。単なる偶然かも知れませんからね。ただ、いつにも増して過去の話が多かった印象はありますので、本当に偶然なのか?との思いも多少はあります。

そういう超常現象的な話とは別なのですが、いつの頃からか、大川さんが何か考えをまとめたいと思った時に、私に話に来るという事が増えてきたような気がしています。そう思うこと自体、私の勘違いなのかもしれませんが、もしそうだとしたら、私の話の仕方が、あまり自分から話を振る事が無く、相手の話題に乗って感想やら意見やらを交えながら話を広げて行くような傾向がありますので、それが大川さんにとっては良い影響があったのではないか・・・と少し思ったりしています。この時も、大川さんが一仕事終わって、じゃ次に何から取り掛かろうかという感じで話に来たのではないかというのが私の感じた印象です。ただし、話の内容そのものは取り留めの無い感じでした。

2月19日に、突然「ちばの川ものがたり」のCD-Rにキズが着いて再生出来なくなったのでもう1枚用意できないか?とのメールが舞い込みました。これが実はかなり不審なメールで、つまり再生が出来なくなるほどのキズというのはなかなか付くものではないからです。でも、たまたまそういう事がおこる事もありますし、大川さん以外の人が何かやってしまう事もありますし、あまり気にはしませんでした。ところが、それからぷっつりと連絡が来なくなりました。大川さんは、毎年3月には公演で忙しくしているのはわかっていましたが、それでもCD-Rを渡す暇も無いほど忙しいとは思いにくく、「おかしいな」という感じはありました。CD-Rを実際に渡したのは4月に入ってからでした。それも4月6日に、今日取りに行って良いかとのメールがいきなり来て、私も別な用事で出かける事になったので、私の仕事場のポストに入れておいて、持って行ってもらう事にしました。つまり、この時はすれ違いで顔を合わせていません。そしてこれが大川さんとのやり取りの最後となりました。この時に予定をやり繰りしてでも会っておいた方がよかったなとも思いましたが、時間があったら会う、そうでなければ次善の策を取る、という形はいつもの感じですので、それで良かったのではとも思います。

その後6月に大川さんと親しい人に会う機会があり、大川さんが(珍しく)入院しているいう話を聞きました。その翌日くらいにPPK48で指導を担当している人から電話があり、大川さんは入院しているけれど、PPK48のミニ公演があり、大川さんの書き下ろしの脚本で「ちばの川ものがたり」の音楽を歌うので見に来ないかという話がありました。このお誘いはせっかくだからと見に行って来ました。2回公演があったのですが、私が顔を出したのは6月23日でした。歌の曲は「ちばの川ものがたり」のメインテーマでしたが、ストーリーは全く別のもので、こういうのも大川さんらしいと言えばその通りだと思います。また大川さんは快方に向かっているような話もありました。

7月26日、大川さんと(あるいは大川さんを含めた数人で)良く行っていたバーに1人で行き、「大川さんが入院されているのご存知ですか?」とマスターと話しました。そして家に帰ってパソコンのメールを開いたところ「大川義行氏ご逝去」の第一報が入っていたのを見つけました。これはどういう符合なのでしょうか?その日から翌々日くらいまで第二報、第三報・・・と次々に電話やメールが入り、何かしら関心があってここを読んでいただいている人の多くはご承知のような経過を辿って、現在に至っている事になります。

何か結論じみた話、教訓じみた話を期待されている方はいらっしゃるでしょうか?それは私の柄ではありませんので・・・・・この辺で・・・・。

|

« 大川義行氏の想い出(21) | Main

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/98169/64682296

Listed below are links to weblogs that reference 大川義行氏の想い出(22):

« 大川義行氏の想い出(21) | Main